日本人として、心が反応するお話。 (スタッフコラム)

この7日の日曜の夜、(そうです。七夕の日です)ウチの2階にいたら配偶者がまっすぐに腕を伸ばし、窓の外に向かって指を指して「ほら、とても変わった色の月が出てる。なんか怖い。」と言った。見ると少し黒みがかったオレンジ色の三日月があった。僕は怖いとは思わなかった。(何故なら「濃厚な煮卵の黄身」っぽくて美味しそう、って思ったから)が、彼女の伸ばした指で、以前「ビッグコミックオリジナル」に連載されてた「月を指すゆび」という作品を思い出した。と、同時につい先日読んだ佐々木常夫さん(秋田市出身の大企業の社長だった人です)の「人生の教養」という新書にあったお話が浮かんだ。思わず口から「あ・・・月を指す指」。そしたら「なんか知らないけどカッケ。」と配偶者・・・巧く説明できないけど、仏教の教えの中にあるお話だそうで、愚者は「月を見せようと指す先の月を見ずに、指した指を見る」んだそうです。「月」は「真実」で「指」は真実に導くための「道具」。佐々木さんは「指は言葉」と書いてました。目標(月)に向かう時の道しるべ(指、つまりは言葉)みたいな・・・深いな、と。

で、思い出したことがあります。(最近はトシのせいかすごい忘れっぽいくせに、思い出してばっかだ) もう5年も前になるけど、当時の上司が、ウチの法人内の管理職研修で話してくれたお話。。。それは京都のお寺にある水を貯める石のお話なんだけど、僕は京都に行ったことがない。今はどうか知らないけど僕が高校生だった頃の秋田のフツーの学校では修学旅行は京都。だから多くの秋田県人は京都に行ったことがあるんじゃないかな。でも僕はない。ぐすっ・・・いつかその切ない理由をお話しますね・・・ま、いいんだけど、京都の「龍安寺」の「蹲(つくばい)」は、「知足のつくばい」と呼ばれているそうで。(「つくばい」は「茶室」に入る前に跪いて口や手をすすぐ手水(ちょうず)のことです)何故「知足の」と言われているかというと、丸いつくばいの真ん中に「口」の形の穴があって、その「口」の周囲に4つの文字が彫られているそうな。(ん?「そうな」?突然の民話調だぁ)上に「五」、右に「隹」、下に「疋」、左に「矢」。上から時計回りに読むと「吾唯足知」となる。「われ、ただ足るを知る」と読むんだ、と。 あの、ジョージ秋山の「浮浪雲」でもよく和尚さんが「足るを知れ!」と怒ってましたね。「現状に満足することを覚えなさい」の一言、カッコいい、いやカッケすね。しかもお茶の時に使う口すすぎ場の石にオシャレにデザイン化までして!昔の日本人には心にゆとりがあって、しかも社会人育成をしっかりしてたんだな、と・・・

なんかよくわかんないけど、「月を指す指」と「知足」は日本人の琴線に触れる言葉ですよねぇ。「言葉は道具であって真実ではない」というけど、これらの言葉は真実へ導く道具としてはあまりに完結しているよう。 でも「言葉」はだから「怖い」のでしょう。真実に見せかけることが出来るのも「言葉」ですものね。「言霊」とも言うしね。。。 なんか、マジメすぎた。次回こそ笑えそうなお話をしたいです~でも、そん時の思いつきだから、ねぇ~