今日はコラムに日、そして... (スタッフコラム)

朝、車のエンジンを掛けるとカーナビから「おはようございます。今日はコラムの日です」との声が流れた。へぇ~そんな記念日あるんだぁ。そっか、今日は木曜だし(基本、このコラム?は毎木曜にリリースしようと心掛けてます。最近金曜になったりしてますが...)書き溜めていたモノを(大体4本程度はストックしてます)リリースするより、折角コラムの日なので今日は今思うことを出そう、と考えた。でも、何故今日がコラムの日?と気になったので調べた。ちょうど270年前の今日、3月11日にイギリスの新聞社が世界初のコラムの連載を開始したんだそうな。で、日本で最も有名なコラム「天声人語」の雑学もあった。117年前の1904年1月に開始。「鉄骨稜々」という題名の時期がたった1カ月あったらしいけど、それ以外はずーっと「天声人語」。「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来。意味は「民の声、庶民の声こそ天の声である」、だそうだ。僕はサキガケの「北斗星」も面白いし、月2回同紙に掲載される内館牧子さんのコラムも大好き。

と、今月に入ってから「東日本大震災」に関連する報道や番組が多い。あれから10年が経った。時間の経過が早いのかどうかはその人の経験や思いによって感じ方は異なるだろうが、10年が経った。あの日の秋田は寒かった。まだ空き地には硬くなった雪が残っていた。大きく揺れを感じた時、僕は病院の新館から旧館へ向かう渡り廊下にいた。1983年の日本海中部沖地震に匹敵するような「脅威」を感じるほどの揺れだ。すぐに停電し断水した。当然厨房の機能はストップ。春まだ浅いため日が暮れるのが早く、寒い。職員は一丸となって入院患者さんの暖かさの確保と夕食の提供に努めた。みんな、自分の家も心配だったが病院に残って対応に当たった。帰宅したのは深夜12時を過ぎていた。当然停電し、配偶者とねこ2匹が不安そうに懐中電灯の中にいた。翌12日、土曜。停電の復旧もなく、朝5時には男性事務職が集合し、暗い中患者さんの朝食を用意する栄養科の職員を懐中電灯を照らしフォローした。配膳車を人力で階段を下ろしたり上げたり…8時頃には女子職員の多くが集まった。有難かった。結局停電が復旧したのが16時頃だったと記憶している。ただ、ガソリンの不足や大町川反地区(秋田一番の繁華街)では1週間後でも物流の関係も絡み通常営業するお店はまばらだった。(実際、僕は1週間後の18日金曜に川反で飲んだがお客は殆どなかった)長い人生でも最も非日常を感じた時期だった。

影響の少ない日本海側でもこんなレベルだった。今なお、映像で津波のシーンを見る機会があるが、何度見ても怖い。停電・断水レベルなんかじゃなく、家が流され、その日の朝一緒に朝食を摂った家族が突然いなくなったのだ。考えただけで生きる力を失う。。。あれから10年。(3度目の記載だね)原発事故の汚染水問題すら解決できてない。「がんばろう東北」はまだまだ続く。。。