お世話になった先生。記憶に残る先生。と、昇格推薦制?について (スタッフコラム)

先日、クドー部長と朝礼のあと何故か「教師」についての話題になった。「昔は先生と警官って怖かったし、偉い人だった気がする」と部長。「う~ん、教師をエラいと思ったことは全くなかった」と僕。で、それは何故か、を考えてみた。そう言えば保育園時代、僕は背が高かった。お遊戯やフォークダンスの時は「ペア」になる女の子がいなくて、大体が「高山先生」が僕のお相手だった。「高山先生」とは阿吽の呼吸で踊ってた(ハズだ)

で、小学校に上がると低学年が「畑沢先生」、中学年が「佐藤先生」と母親と同じくらいの年恰好の先生で、2人とも優しかった。保戸野(秋田市の工業高校とかある辺り)の先生んチに遊びに行って「坊主めくり」(百人一首カルタを使ったアカデミック?なアソビです)を教えてもらったりしてた覚えがある。そんなんで、教師はとても近い存在だった。

面白かったのが高学年の担任。長谷川先生という年配の男性。頭が薄かったからトシ取ってみえたのかもしれないが、体育の時間は隣のクラスと合同でその先生は参加してなかったことを考えると「相当」なトシだったのかもしれない。ま、それはどうでもイイんだけど。。。ある時その先生が(あ、1970年くらいのこと。50年も前だ、と理解の上お読みください)「将来、テレビは絵画を観るような感じに「壁掛け」になると思う。それと、上から立体的に「見下ろす」ような感じ、例えば「野球の試合」はまるで球場で観ているように臨場感のあるようなテレビが開発されると思う」と言ったのだ。カラーテレビが普及してあまり時間が経っていないような時期にそんなSFめいたことをいうスゴいヤツだった。

中学の教師では、3年の秋深い時期にホリイ君チの隣の「カナサ神社」で「カラーボール野球(柔らかいゴムボール)」をホンキで遊んでる僕らに「こら~。君たちは高校に行かないの?大概にして帰って勉強しなさい!」と確実に「愛をもって」叱ってくれたナカムラ先生が一番の記憶。因みにカラーボール野球を一緒にやってたヤツらは後に教師や医師、社労士になるなど、優秀なのもいた。

以前も書いたけど、高校はつまんなかったので教師のこともほぼ覚えちゃない。まあ、みんな高校生くらいになると教師を「尊敬」の対象にする生徒は皆無となるだろうし。。。僕の場合、運がとてもイイ。保育園・小・中学と素敵な先生にお世話になった。超臆病者の僕が教師を「怖い」と思わない理由だ。

教師を辞めた友達に聞いた。教頭や校長になるには「試験」があるんだ、と。その受験には「上司の推薦」が必要なのだ、と。上司に「気に入って」もらえなきゃ受験できないんだ、と。ただ、驚いた。なんじゃそりゃ~「主観」ってしか思えない評価のもとに校長先生がいるんだ。どっかの校長を経験した方が亡くなると「サキガケ」新聞の記事になる。所謂「公人」扱いだ。しっかりとしたエビデンスに基づいた基準を作って欲しいものだ。 一体「なに時代」なんだろ、教育界は。。。